前回の私が書いた内容は、たいぶと真面目なお話をしましたので、今回は700形の思い出話を。
特に同年代の30代の皆さま最後までお付き合いください(笑)

情熱の赤プロジェクトの主役である「ことでん1200形」こと、京浜急行700形は私にとっては「1000形の弟分」のような存在でした。私は中学生まで京急安浦駅(現:県立大学)が最寄り駅でしたので、700形に出会う機会はそこまで多くありませんでした。たまに浦賀や久里浜へやってくるため「普通電車」のイメージが強かったです。

ちなみに私の通っていた小学校は、校舎やグラウンドからトンネルから飛び出す赤い電車が近くで見れて、よく午前中に2本つなげた700形8両回送が、午前11時前後に下っていく姿を見て「なんで8両の回送が久里浜へ行くのか」当時はとても不思議でした。

しかしその答えは、本の中にありました。

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△懐かしき「ルトランカード」

幼少期に有害図書(?)…いや優良本であり、ボロボロになるまで読んでいたカラーブックスの「日本の私鉄 京浜急行」には誇らしく「通勤快特」と掲げ、堂々の700形12両編成で走る写真が掲載されているではありませんか!

小学生のときは、基本その時間帯は通学路を歩いている時間なので、通勤電車に乗ることもできず…やっときた夏休みに早起きし横須賀中央で700形8両通勤快特の姿を見たときは感動しました(笑)


小学校高学年になると、700形も引退に向けてカウントダウンが始まっていました。

当時は今のようなインターネットもSNSもない時代。

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△土曜ダイヤ限定の急行新逗子行き!

たまたま見かけた記憶を頼りに、平日夕方に前4両増結される700形に乗りたくて、金沢文庫駅で1時間待って留置線の動きを見て、乗ったり、同時はまだあった土曜ダイヤ限定新町始発で、2本つなげた700形の急行新逗子に毎週のように乗っていました。なぜあの時、写ルンですを持ってウロチョロしてなかったのか、非常に悔やまれます。

700形といえば、前照灯はおでこに組み込まれ、まさに「千 昌夫」のような顔つきですが、個人的には窓に付いている「保護棒」がことでんで走る今も残っているのが特徴的に思えます。

思い出はまだまだありますが、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

支援スタートまであと5日!5月3日日曜日18:00スタートです!まずはこのプロジェクトをたくさんの方に知って頂くことからスタートします。

ぜひよろしくお願いします!

最後まで読んで下さりありがとうございました。


寄稿 佐羽内勇太