今回は京急大津駅の不思議な湘南柱について紹介します

本線の堀ノ内~浦賀はまだシンプルカテナリ―電車線の為、湘南柱が多く残っている区間です
とは言え京急大津駅のホーム部分については既に建替えられており、特に気にしていなかったのですが、ある日浦賀駅から上り普通車に乗り込みボケーっと海側の車窓を眺めていたところ京急大津出発時にとんでもないところに湘南柱が建っているのが目に留まり、慌てて京急大津に戻ってきて来ました

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下りホームの海側少し離れたところに湘南柱が1本ぽつねんと建っていました
ホームのすぐ脇なら分かるけど、なんでそんなところに建っているの…
差し詰め「はぐれ湘南柱」とでも呼んでおきましょうか

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紛うことなき湘南柱です。ただし本来ビームが連結されていた部分から上が切り取られています
建っているのは駅に隣接する文庫保線区大津保線班の敷地内です

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どうやら沿線にある工事用コンセント(?)の電源ケーブルの支持物として現役のようです
カメラを水平にして撮影していますが、この湘南柱品川方へ傾いていますね
片側からだけの引張り荷重を受けている上に支線等も張られていないですから当然と言えば当然でしょう

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塔頂部は結構雑に切られていますw

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以前はもっと多くのケーブルを支持していたのか…

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ちなみに駅の外、地下自由通路の所からもちょこっとだけ見えています

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上りホームから下りホームを見たところです
丁度車内からもこんな感じで見えて何だあれはとビックリしました

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今度は湘南柱を背に下りホームから上りホームを見たところです
何かホームの下に怪しいものが見えますね

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現存する湘南柱と対になっていた山側の柱の跡と思われます

不要になった湘南柱を移設してケーブル支持物に再利用した説を考えていたのですが、対になる柱が存在していたことによってその説は消えました…では一体何故あんなところに建っているのか…?

もう一つ京急大津駅付近に不思議な湘南柱があります
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京急大津駅浦賀方の湘南柱(大構4)です
何故か海側に余計に線路敷きが広がっていて、山側の沿道にも謎のゼブラゾーンが

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上下線間中心から見た大構4
海側に広がった線路敷きに沿う形で大構4も海側に張り出しています
不思議なのはそれだけではありません

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右側(山側)を拡大したところです
何故か道路照明が装柱されています…
そしてビームの付け根部分にご注目ください

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斜材が中途半端なところで途切れている(というかガセットプレートの裏に隠れている)ではありませんか

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参考に田安31の写真です。通常はビームの斜材がガセットプレートの裏に隠れることはありません。ということは何らかの後天的改造がされたことを示唆しているのです。

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もう1本先の大構5支柱も海側への張り出しは無いものの、道路照明やビーム斜材などの特徴は大構4と同じです

ここまでの謎を図に纏めるとこうなります
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こうするとなんとなーく答えが見えてきそう

実は昭和28(1953)年12月まで京急大津駅(当時は湘南大津)は
島式ホームだったのです

京急が発行した「普通電車の旅vol.19 京急大津編」12ページでも
開業当時は島式ホームだった旨書かれています


対向式ホームがすっかり板に付いている今の姿からは想像が付きませんね
というか少なくとも鉄道趣味関係の書籍等で島式ホーム時代の写真がどこにも出てこないんですよね…横須賀市の図書館にでも籠って探すしかないのか…
(もし見たことあるよという方はご教示ください)

この不思議な湘南柱を見つけるまでは昔から対向式ホームの駅だったと
思っていたのですが、不自然な線路敷や湘南柱はその名残だったんですね

つまり昭和28年まではこういうことだったわけです
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実際に当時の様子を空中写真で見てみましょう
※以後の空中写真は国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスからダウンロードしたものを使用しています(出典を明記すれば承認不要で写真を使うことが出来ます)

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▲昭和22年の湘南大津駅。確かに島式ホームなのが確認できます

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▲昭和28年12月に対向式ホームに改築後の湘南大津駅

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▲ホームを延伸して6両対応にした頃
 ホーム延伸で支障する堀ノ内第3踏切道が品川方に移設しているのが分かります
 駅の浦賀方は島式ホーム時代の線路敷がまだそのまま残っているように見えます

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▲駅の浦賀方の山側線路沿いに道路が開通しました
 これにより島式ホーム時代の膨らんだ山側の線路敷は消滅しました
 同時に大構4・5はビームを縮めた上で山側支柱を移設し、道路用の照明を取り付け現在の形になったものと思われます
 また道路の開通に伴ってか京浜大津第2踏切道が廃止されています(現在でも京急大津第2踏切道は欠番になっています)

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▲ホームが8両対応の為延伸され堀ノ内第3踏切道は廃止されました
 代替として移設前の第3踏切道の場所に地下道が設けられているのが分かります

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▲昭和61(1986)年11月に構内通路(踏切)が廃止され跨線橋が新設されました
 この頃にはビームの長い湘南柱と思われる影が見当たらないことから、架線柱としての役目を終えて「はぐれ湘南柱」となったのでしょう

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▲平成28年と昭和22年の空中写真を重ね合わせたもの
 白黒に写っているのが昭和22年
 今まで解説した内容がお分かり頂けると思う

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▲現在の京急大津駅を浦賀方から見たところ

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▲昭和28年まではこのようになっていたのだ(絵心なくてすみません…)

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▲このはぐれ湘南柱も…

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▲かつてはこんな感じで電車線を支持していたのだ

不思議な湘南柱の発見から駅の歴史を紐解くことになろうとは思ってもみませんでした…本当見れば見る程新たな発見があります。

もし京急大津駅を利用する機会があればこの歴史の証人であるはぐれ湘南柱を見て
島式ホーム時代の湘南大津駅に思いを馳せて見ては如何でしょうか?

寄稿:保線後ティータイム(hosengoteatime)